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いまぽん
とは

サイエンスとスピリチュアルの、その間へ。
好奇心とAIで「不思議」を確かめていく研究者。

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「スピリチュアル」と「サイエンス」を掛け合わせた、いまぽん。が提唱する探究スタイル。占星術や予兆、都市伝説的な「不思議」を頭ごなしに信じるのでも否定するのでもなく、AIと公的機関のデータを使って実際に測り、確かめていく探究の姿勢を指す。

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生い立ち

僕の家には、
答えがいつも
二つあった。

それは

父親が科学の教師。

母親は
占い好きなドスピ。

という

二つの価値観の狭間で
僕は育ったからである。

サイエンスと
スピリチュアル。

この二つが
気がつけば見事に
ハイブリッド化されていた。

それが
今の、いまぽん。となる。

幼い頃から
父親の部屋には

ビーカーや試験管
電子顕微鏡があり

これらが
僕のおもちゃとなった。

家の庭で
家族で天体望遠鏡を覗き

父が星を語り

母がその星の
意味や伝説を
付け加えていく。

そんな幼少期であったが

僕自身には
全く興味がなかった。

むしろ

とても退屈な時間だった。

動きもしない星を見て

手にも届かない
遠い世界を見て

何がそんなに
楽しいのか。

当時の僕には
さっぱり理解できなかった。

それよりも
早く家に帰って

大鉄人17やドリフを
観たかったのである 笑

そんな 小学4年生のある日。

夏の南の夜空で

とても奇妙に
浮遊する

謎の発光を
目撃することになった。

不思議との出会い。

僕の部屋には

備え付けの
天体望遠鏡があった。

これもまた

欲しくもない
誕生日プレゼントとして
与えられたもので

窓から南に向けて

月を観測できるように
セッティングされていた。

当時、夏休み。

興味はないものの

自由研究の題材として
月齢の記録を選んだ。

毎晩月を見て
記録するだけ。

割と楽ちんな
宿題である。笑

そんな気軽さもあって

毎晩なんとなく
月を見るという習慣が
身についていった。

そんなある夜のこと。

いつものように
観測をしていると

山の向こう側で

数分おきに
稲光が見えた。

その瞬間だけ

山のシルエットが
くっきりと浮かび上がる。

僕は月よりも

その幻想的な景色に
目を奪われていた。

次はいつ光るのか。

1、2、3……

そう数えていた時

その稲光の中で

大きく光る球体が
とてもゆっくり

浮遊している事に
気がついた。

山と山の間を
左右に動き

時には
上下にも動いた。

さらに驚くことに

1つだった光が
3つになり

3つが
6つになった。

そして最後には

大きなVの字を描き

夜空の中に
シンボルのように
浮かび上がっていた。

僕は驚いて

父と母を呼び
必死に叫んだ。

しかし
声は届かなかった。

そして、その光は

一つずつ
ランダムに

夜空から
姿を消していった。

しばらくして。

その話を
両親にすると

父は言った。

「雷の影響で起きた
プラズマじゃないか」

母は言った。

「それ、UFOよ」

見事に
意見が割れたのである。

子どもながらに

どちらが
正しいのか分からなかった。

が!!

その年の
夏休みの自由研究には

大きく

『UFO目撃』

と書いたのである 笑

ところが

この出来事を境に

僕の中で
大きく変わったことがある。

天体観測を

自分の意思で
するようになったのだ。

そこから

僕の神秘探求が
始まった。

あれは
何だったのか。

この問いが

今の僕の
根源的な問いの

始まりだったのだと
今になって思う。

そして

その探求と好奇心は
さらに加速していく
ことになった。

光る人物。

その頃から

僕の本棚には

親から与えられた
ほとんど見もしない
星座図鑑より

UFO大百科のほうが

圧倒的に
面積を占めるようになった。

もう一度見たい。

ただただ
その気持ちだけで

僕は毎晩
夜空を見上げた。

もうそれは

学校の自由研究などという
類いではなくなっていた。

そして

2回目の遭遇まで

それほど
時間はかからなかった。

数ヶ月後。

僕はまた

同じような物体を
目撃した。

それは前回ほどの
数ではなかったが

少しひし形の
光る何かであった。

やっぱり
見間違いじゃなかった。

そう心の中で
強く叫んだことを

今でも
鮮明に覚えている。

そして

1回
2回
3回

目撃を重ねるうちに

僕の中で

別の不思議な記憶が
蘇ってきたのである。

それは

僕が2歳の頃。

そばにずっと

光る人が

存在していたような
記憶だった。

なぜ
2歳だと分かるのか。

そう思うかもしれない。

それは3歳で

いまの実家へ
引っ越しをしているからだ。

つまり、

この古い家の記憶は
完全に今の家の記憶と
区切られている。

それだけではなく
実は僕には

生まれて数ヶ月の頃からの
記憶がずっと鮮明に残っている。

2歳まで
住んでたい家の

間取りや
置いてあった物まで

図に描いて

親を驚かせたことが
あるくらいだ。

まあ

その話は
いったん置いておく。

2歳の頃に住んでいた

とても古い家。

その家の
決まった場所に

いつも
誰かがいた。

そんな記憶が

光りの目撃を
皮切りに

ぼんやりと
蘇るようになった。

その人物は

僕の記憶の中では

光る人

だった。

そして
時は流れ

22歳になった僕は

この記憶を

どうしても
確かめたくなり

福岡にある
催眠療法の施設へ行き

退行催眠を
受けることにしたのである。

退行催眠。

2歳まで住んでいた家。

それは
とても古い家だった。

雨戸には
穴が空いており

時々そこから

強い光が
差し込んでいた。

暗く
カビ臭い部屋。

その中に差し込む
眩しい光。

子どもの僕には

それが
とても神秘的に見えた。

そして

その光のそばに

時々現れる

光る人物。

この記憶は

本当にあったことなのか。

22歳の僕は

どうしても
それを知りたくなった。

タウンページを開き

片っ端から

退行催眠のできる
療法施設を
探したのである。

そして

福岡に
一軒見つけた。

僕はすぐに電話をし

予約を入れ

そのまま
車を走らせた。

到着した場所は

普通のアパートだった。

そこでは

とても感じの良い
50代くらいの女性が

白衣を着て
迎えてくれた。

お茶をいただきながら

僕は先生に

これまでの話を
一通り説明した。

先生は笑顔で

「わかりました」

と言った。

今考えると

なかなか
アホな依頼である 笑

それでも先生は

快く
引き受けてくれた。

そして

療法室で横になり

退行催眠を
してもらった。

ところが

なぜか僕には

まったく
かからなかったのである。

先生は申し訳なさそうに

「かからない方も
いらっしゃいますので

料金は
お返しします」

と言った。

しかし僕は

「いや!
明日また来ます。

もう一度
お願いします!」

と答えた。

こうして僕は

急遽
福岡に一泊し

翌日

再び
退行催眠に
挑戦することになった。

そして

次のセッション。

僕は

とんでもない
過去の記憶と

遭遇することになる。

過去の記憶。

薄暗い部屋。

加湿器から聞こえる
かすかな音。

横たわる僕に
先生はもう一度
退行催眠を試みてくれた。

もちろん僕は

退行催眠なんて
受けたこともないし

かかったこともない。

好奇心と
少しの恐怖を抱きながら

僕は静かに
先生の声へ
耳を傾けた。

すると

身体の感覚が
スッと軽くなり

頭の中だけが
急に鮮明になっていった。

先生の声は
ちゃんと聞こえている。

でも

その時
見ていたものは

とても懐かしい
スヌーピの筆箱だった。

そこで
退行催眠の中にいると
自分で気がついた。

先生が聞いた。

「今、何が見えますか?」

僕は答えた。

「スヌーピの筆箱です」

先生は続けた。

「その筆箱を
開けることはできますか?」

僕は
そっと筆箱を開けた。

懐かしい
鉛筆キャップ。

BOXYの定規。

色や柄

傷の形や位置まで

僕の記憶と
一致していた。

先生は言った。

「では
もう少し過去に戻りましょう」

そこから

僕の記憶は
さらに逆行していった。

母の若い声。

父のバイクの
後ろに乗る僕。

忘れていた景色が
次々と巻き戻されていく。

そして

僕がずっと
確かめたかった場所。

2歳まで住んでいた
あの古い家。

そこに
僕はいた。

先生が聞いた。

「今度は
何が見えますか?」

僕は答えた。

「着きました。

ここです」

懐かしさより

先に感じたのは
怖さだった。

薄暗い古い家に

小さな僕が
ひとりでいる。

僕は先生に言った。

「先生。

ちょっと怖いです」

すると先生は

僕の胸に
そっと手を当て

「大丈夫ですよ。

ゆっくり
呼吸してください」

と声をかけてくれた。

しばらくして
先生は言った。

「では

あなたが見たかった
その場所まで

移動してみてください」

僕は

あの光る人を
いつも見ていた場所へ

ゆっくり向かった。

そこは

縁側の角。

ほうきや掃除道具が
立てかけられた

暗く
少し窪んだ場所だった。

しかし

誰もいなかった。

僕は先生に言った。

「先生。

誰もいません」

先生は
静かに答えた。

「では

少し待ちましょう」

「ゆっくり呼吸をして

目を閉じてください」

少し間を置いて

先生は言った。

「ゆっくり

目を開けてください」

僕は
言われた通り

目を閉じ、

そして

ゆっくり
目を開けた。

その瞬間。

そこに

記憶の中の
あの人がいた。

いや。

人と呼んでいいのかは
今でも分からない。

それは

光というより

無数の粒子が
集まってできた

気体のような
存在だった。

人のように見える。

でも

人ではない。

ただ、
異様な
大きな頭と

身体らしきものだけが
そこにある。

輪郭も
はっきりしない。

それなのに

確かに

そこにいる。

そんな

とても奇妙な
存在だったのである。

上書きによる美化。

僕は
退行催眠の中で

奇妙な光の存在と
再会した。

ただ

それは
恐怖でしかなかった。

僕は先生に

「怖い!怖い!怖い!」

と叫んだ。

先生は聞いた。

「どうしますか?

やめますか?」

僕はすかさず

「はい!

もういいです!
もういいです!」

と答え

催眠を
解いてもらった。

恐怖のあまり

僕の呼吸は
大きく乱れていた。

先生は
静かに聞いた。

「何を見ましたか?」

でも僕は

あまりの恐怖に

先生にさえ
話したくなかった。

「よく分かりません」

と濁したことを

今でも
はっきり覚えている。

それから
家に帰ったあと

フラッシュバックのように

その存在との
別の記憶が

少しずつ
蘇ってきた。

縁の下の暗闇でも
遭遇していたこと。

なぜか当時の僕が

それを
「カニ」だと

認識していたこと。

バラバラだった
奇妙な記憶が

少しずつ
繋がり始めたのである。

それからというもの

その存在が
夢に出てくる

悪夢を見るようになった。

僕はこの経験を境に

UFOや宇宙人への興味を
いったん捨てた。

早く忘れたくて

音楽活動に没頭し

とにかく
気を逸らすことに

必死だった。

その姿は

いわゆる
グレイタイプに

よく似ていた。

だから僕は

グレイの写真や
イラストを見るだけで

強い恐怖を
感じるようになったのである。

それから数年後。

本屋で
たまたま手にした

『プレアデスかく語りき』

という本と出会った。

そこに書かれていたのは

僕が見た
グレイタイプの存在とは

まったく違う世界だった。

そこに描かれていたのは

恐ろしい存在ではなく

愛に満ちた

美しい
高次元の存在だった。

僕はその本を

何度も
何度も読み返した。

そして

高次元宇宙や
宇宙存在について

むさぼるように
知識を吸収していった。

ただ

今思えば

それは真実を
知りたかったというより

あの恐怖を

綺麗な情報で
上書きしたかっただけ

なのかもしれない。

グレイタイプなんて
存在しない。

あの美しく
愛のある存在こそが

本当なのだと。

当時の僕は

そう信じたかったのだと
今では思う。

それから僕は

そうした宇宙存在に関する本を

ほぼコンプリートするほど
読み漁った。

そして

本の中だけでは
足りなくなった僕は

インド。

南米。

エジプト。

宇宙人との関わりが
語り継がれる

さまざまな
古代文明を巡る旅へ

出ることになったのである。

そして、ルミネラボへ。

世界の古代文明を
巡ってみたものの

これといって
新しい発見はなかった。

ただ唯一

この頃から
大きく変わったことがある。

友達や身内から

完全に
「変なやつ」として

扱われるように
なったことである。笑

今でこそ

スピリチュアルという
ジャンルは確立され

ある程度
市民権も得ている。

でも当時は

宇宙人だの
高次元だの
古代文明だの
と言っている僕は

完全に
変人扱いだった。

人間関係にも
社会にも疲れ

どこか
呆然としていた僕は

ある時
ひとつの決意をした。

SEとしての
経験を活かして

宇宙や
愛というものを

もっと多くの人に
届けられないだろうか。

愛のあるゲームや
音楽を作る会社を

作ろう。

そう思ったのである。

そして

1999年12月。

僕は
会社を立ち上げた。

会社は

5年目で
年商億円を超え、

やがて

社員も
数十人に増え

日本各地に
支社を出すほどに
成長した。

ところが

仕事が忙しくなるにつれ

あれほど追いかけていた

宇宙や
愛や
神秘の世界から

僕は少しずつ
遠ざかっていった。

そんなある日。

元請けの会社が
突然倒産。

その影響を
まともに受け

しかも運悪く

会社のキャッシュフローが
最も厳しい時期と重なった。

数億円の負債。

そして

僕の会社も
倒産へと追い込まれた。

代表として背負った

個人的な負債は

最終的に
7億円にまで膨らんだ。

会社を失った。
お金を失った。
仲間も失った。

最後の最後まで

会社を立て直そうと
資金を使い果たし

僕はやがて

本当に
ホームレスになった。

そんな時

ふと思い出したのだ。

そもそも僕は

愛や宇宙を
伝えたくて

この会社を
作ったはずだったのに・・・。

いつの間にか

その理念から

大きく離れていた事に。

公園の片隅で

そんなことを考えながら

ひとり
涙を流す日が続いた。

そしてある時

飢えと
絶望と
孤独の中で

僕は
自ら命を絶つことを決めた。

これ以上

生きていく意味がない。

本気で
そう思った。

7億円もの借金を

返せるわけがない。

誰も
助けてなんかくれない。

愛なんて

存在しなかった。

その時の僕には

それが
答えだった。

そして僕は

実際に
行動へ移した。

夜の公園で
死に場所を探し。

拾った
工事現場のロープで
首を括ったのである。

ところが

気がつくと

僕は
夜空を見上げていた。

幸いにも

それは途中で
外れていた。

昔から
結ぶのが苦手。

これが命を救った。

ただ

情けなかった。

僕はその場で

子どものように
泣いた。

泣いて

泣いて

泣いて

何をしていいのかかわらず

公園の砂を
口いっぱいに入れ

ガリガリと噛み
吐きながら

また
泣いた。

ただひたすら
泣き続けた。

その時。

涙で滲み
意識が
もうろうとしていた中で

それを見た・・・・。

公園の向こう側に

あの光の人が
こちらを
じっと見ていたのだ。

退行催眠で見た
あの姿と違い

まるで

一本の
光の柱のような姿で

そこに
立っていたのである。

それは美しく
優しさも感じた。

僕は
ただひたすら
その光に向かって

大声で
泣き叫び続けた。

それは

情けなさなのか
悔しさなのか
孤独からなのか

見守っていた存在だと
感じたからなのか・・

それとも
幻覚だったのか・・。

あの時の感情は
今でも自分で

区別すら
できない。

そして
それから

どうなったのか。

その話は

またいつか
機会があれば話そうと思う。

ただ

あの日を境に

僕はもう一度

宇宙というものを
探し始めた。

そして
7億円あった借金も

10年かかったが
すべて完済した。

この経験から僕は

人間の可能性というものは

自分が思っている以上に
大きいことを知った。

自分を

侮ってはいけないと
理解した。

僕はずっと
不思議なものに出会うたび

信じるのか
疑うのか

その間を
行ったり来たりしてきたが。

父は
科学で語り

母は
スピリチュアルで語った。

子どもの頃から
僕の前には

いつも
答えが二つあった。

でも
本当に知りたかったのは

どちらが
正しいかではなく

「あれは
何だったのか」

ただ

それだけだった。

だったら

信じるだけでもなく
否定するだけでもなく

自分で
納得するまで
確かめればいい。

科学のデータ。

古い伝承。

占星術。

宇宙の観測データ。

そしてAIと、

体験という
貴重なデータだ。

それらを使って

もう一度

不思議を
観測してみよう。

そうして始まったのが

ルミネラボである。

小学4年生の夏。
夜空の光を見て生まれた

「あれは何だったんだ?」

という問い。

何十年も
経った今でも

僕はまだ、

夏休みの自由研究を

ただ続けている
だけなのである。