質問
YouTubeのコメントに、次の質問が寄せられた。
5300年前の日本の空って、どうなってたの?
答えを持ち合わせていなかった。そこで、計算するシステムを作った。星およそ8900個の位置を、指定した年まで巻きもどす装置である。本稿の数値は、すべてこの装置が算出したものであり、上のボタンから読者自身が同じ値を確かめられる。
本稿の構成
本稿は次の順で述べる。
- 北極星が時代とともに入れかわること、その原因(歳差)
- 卑弥呼の時代、西暦248年の空
- 質問への回答と、この先に起こること
数値はすべて、本稿から利用できるシステムが算出したものであり、読者自身が同じ値を確かめられる。あわせて、この計算では何が言えないかも最後に明示する。
結論:南十字星は見えていた
紀元前3300年の新潟から、南十字星は見えていた。
最も高く昇ったときの高度は15.4度である。腕をのばしたときの握りこぶし、およそ1個半ぶんにあたる。低空ではあるが、十分に視認できる高さである。
隣にはケンタウルス座アルファがあり、こちらは18.0度であった。太陽系に最も近い恒星系である。
現在の同じ方角が次の図である。いずれも地平線の下にあり、一年を通じて昇ってこない。
なお、現在の日本から南十字星が見えないわけではない。
南十字星は4つの星でできている。現在、新潟からは4つとも地平線の下にあるが、沖縄まで下れば3つは見える。ただし十字の下端にあたるアクルックスだけは、波照間島のような南端の島まで行かないと見えない。見えなくなったのは新潟である。
| 星 | 紀元前3300年の赤緯 | 現在の赤緯 | 新潟から |
| アクルックス | -36.7度 | -63.2度 | 見えなくなった |
| ミモザ | -32.8度 | -59.8度 | 見えなくなった |
| ケンタウルス座アルファ | -34.1度 | -60.9度 | 見えなくなった |
原因は地球の首ふりである
地球の自転軸は、こまのようにゆっくりと首をふっている。歳差と呼ばれる運動で、一周におよそ2万5800年を要する。人の一生を80年とすれば、320人ぶんである。
星そのものが移動したのではない。地球の向きが変わったために、星の見かけの位置が数千年かけて大きく動いたのである。
北極星は交代する
同じ歳差によって、北極星も入れかわる。
紀元前2797年、天の北極に最も近かったのはりゅう座のツバンであった。中心からのずれは0.098度。満月の見かけの幅のおよそ5分の1である。
現在のポラリスは0.628度ずれている。満月1個分あまりにあたる。
つまり当時は、この星を目印とすれば、現在ポラリスを用いるよりも正確な北を得られたことになる。ただし、当時の人々が実際にそう測っていたかどうかは、この計算からは言えない。言えるのは、星の位置がそうであったという事実までである。
卑弥呼の時代、北極星は存在しなかった
では、ツバンとポラリスの間はどうだったのか。
西暦248年ごろ。魏志倭人伝が卑弥呼の死を記す時期である。この年の天の北極の周囲には、明るい星が存在しない。
最も近い明るい星はこぐま座のコカブで、中心から9.07度。満月17個分に相当する。ポラリスにいたっては10.39度、満月20個分離れていた。
ポラリスが天の北極に近づいていく過程は、次のとおりである。
| 年 | ポラリスと天の北極の距離 |
| 西暦248年 | 10.39度 |
| 西暦1000年 | 6.21度 |
| 西暦1500年 | 3.42度 |
| 西暦1800年 | 1.76度 |
| 現在 | 0.63度 |
卑弥呼の時代には、方位の基準となる「動かない星」が空になかったことになる。
ただし、中心が空白であっても不都合はない。北斗七星は、この時代、九州から新潟までのいずれの地点でも一年を通じて沈まなかった。中心に星がなければ、その周囲を回る星の並びを見ればよい。中国では実際に、北斗七星の柄が指す方角から季節を読む方法が用いられていた。
なお「日本のどこからでも沈まなかった」わけではない。柄の先端にあたるアルカイドは、当時も那覇や波照間島の緯度では地平線の下に沈む。九州最南端でも余裕はわずか0.16度であり、大気の状態によっては沈んで見えた可能性がある。
卑弥呼は南十字星を見たか
同じ西暦248年、新潟では十字が欠けていた。最も明るいアクルックスがすでに沈んでおり、残る3つも高度5度未満で、十字の形にはならない。
しかし九州まで下れば、4つそろって地平線の上に姿を現す。
| 観測地 | アクルックス | ケンタウルス座アルファ |
| 北部九州(北緯33.5度) | 3.1度 | 4.0度 |
| 畿内(北緯34.6度) | 2.0度 | 2.9度 |
| 新潟(北緯37.9度) | 見えない | 見えない |
邪馬台国の所在地が九州か畿内かという問題は、現在も決着していない。この計算から言えるのは、九州のほうがわずかに高く見えた、という一点のみである。
しかも高度3度は水平線ぎわである。山や雲、大気のかすみがあれば見えない。「見えたはずである」とまで述べることはできない。
ただし、ひとつ確かなことがある。卑弥呼の時代は、日本で十字が4つそろって見えた最後の時期にあたる。この後、南十字星は九州からも順に沈んでいく。もし当時の人々が実際に目にしていたとすれば、それは日本で最後の世代ということになる。
なお「何年まで見えたか」を年単位で示すことはできない。地平線をどこに取るか(大気差の見積もり)で、いずれの地点でも150年以上前後するためである。
500年で何が変わったか
本稿が扱う紀元前3300年から2800年までの500年間について、恒星およそ8900個を総当たりで調べた。新潟から見た変化は次のとおりである。
- ツバンと天の北極の距離が、2.84度から0.10度まで縮まった
- かんむり座で最も明るいアルフェッカ(2.2等)が、一年中沈まない星ではなくなった
- ケフェウス座とおおぐま座の3等星が、新たに一年中沈まない星になった
ここで補足しておく。北斗七星を構成する7つの星は、紀元前3300年の時点ですでに全て一年中沈まない星であった。この500年で周極星になったのは、おおぐま座の別の暗い星である。
むしろ興味深いのは現在のほうで、柄の先端にあたるアルカイドは、現在の新潟からは一年に一度沈むようになっている。北斗七星が完全な周極星であった時代は、すでに終わっている。
西洋占星術の星座がずれている理由
西洋占星術では、春分の日に太陽が位置する点を「おひつじ座の始まり」と定めている。重要なのは、これが季節によって定めた区切りであり、実際の星の位置とは切り離されている点である。
しかし名称は「おひつじ座」である。現在、春分点が実際に位置する星座はうお座であり、実際のおひつじ座が始まる位置までは29.1度離れている。太陽の日周運動に換算すれば、およそ29日分である。
原因は歳差である。この呼び名が定まったのはおよそ2000年前であり、当時の春分点は実際におひつじ座にあった。名称は当時、正しかったのである。
つまり星座の名称の側に、当時の空が記録として残されている。いわば2000年前の空の化石である。
| 年 | 春分点が位置した実際の星座 |
| 紀元前2800年 | おうし座 |
| 西暦248年(卑弥呼の時代) | うお座に入って間もない |
| 現在 | うお座 |
今後起こること
この装置は未来についても計算できる。
南十字星は、西暦11100年ごろに再び新潟の空へ昇る。現在から9千年あまり先である。
なおこの年は、地平線をどこに取るか(大気差の見積もり)で前後する。大気差を考えない場合は西暦11003年、大きめに0.9度と見た場合は西暦11181年となる。年を特定できる精度ではない。
北極星の座を退いたツバンも、およそ2万年後には再び天の北極に近づく。歳差が一周するためである。ただし戻る位置は同じではない。前回の最接近(紀元前2797年)から次の最接近(西暦22353年)までは25,149年あり、そのあいだにツバン自身も固有運動で動く。次の最接近は1.64度にとどまり、紀元前2797年の0.098度には及ばない。
そして、最も述べておきたい事実がある。
現在の北極星ポラリスは、まだ最接近を迎えていない。
天の北極に最も近づくのは西暦2102年、現在から76年後である。
ただし、これを人類史上もっとも正確な北極星と呼ぶことはできない。紀元前2797年のツバンは0.098度まで近づいており、ポラリスの最接近より4.7倍中心に近かった。ピラミッドが築かれていた時代であり、人類の歴史の中である。ポラリスが迎えるのは、ツバン以来もっとも正確な北極星の座である。
| 星 | 最接近の年 | 天の北極からの距離 |
| ツバン | 紀元前2797年 | 0.098度 |
| コカブ | 紀元前1061年 | 6.528度 |
| ポラリス | 西暦2102年 | 0.460度 |
方法と検証
計算はすべて、本稿から利用できるシステムが行っている。
歳差の計算には Vondrák, Capitaine & Wallace (2011) の長期歳差モデルを用いた。有効範囲は±20万年である。一般的に用いられるIAU2006の式は±1000年しか保証されておらず、紀元前3300年では成立しない。
なお同論文の表には誤植があり、QAのC7は198.296071ではなく198.296701が正しいことが正誤表で示されている。本システムは訂正後の値を用いている。
実装の正しさは、同論文の付録に記載された著者による検証値(四倍精度・16桁)と突き合わせて確認した。19項目の自動テストがすべて通過している。黄道傾斜角はJ2000で23.439度、紀元前3000年で24.02度となり、外部で知られる値と一致する。
恒星の位置と固有運動には、ヒッパルコス星表(ESAの位置測定衛星による観測)の値を用いた。
なお、図の中で星を結んでいる線は、測定されたデータではない。IAUが公式に定めているのは星座の「境界」であって、星を結ぶ線ではなく、線の引き方は星図ごとに異なる。本稿の数値は星の位置のみから算出しており、線は表示上の便宜にすぎない。5000年でアークトゥルスはおよそ3.2度動くため、これを考慮しなければ星座の形そのものが変わってしまう。
描画処理は速度上の理由から歳差計算を別に保持している。両者がずれると「描かれる空」と「表示される数値」が食い違うため、約1270個の星について5つの年代で突き合わせた。最大差は0秒角、すなわち完全に一致している。
この計算で言えないこと
紀元前3000年における地球の自転の遅れ(ΔT)は約20時間に達し、しかも数時間の不確かさを伴う。したがって「その日の何時に、どの方角に見えたか」は原理的に確定できない。
そのため本稿が扱うのは、自転の遅れと無関係に定まる量に限られる。すなわち赤緯、南中高度、そして地平線より上に出るか否かの三つである。
また未来の予測のうち「およそ2万5千年後にツバンが戻る」については、固有運動を2万年分にわたり直線で外挿した概算である。他の数値と同等の精度では述べられないため、年を特定せず幅を持たせた。
太陽・月・惑星の位置は、本システムではまだ計算できない。したがって日食のような現象は扱えない。次に作る装置は、その部分になる。
出典
- Vondrák, J., Capitaine, N., Wallace, P. (2011) New precession expressions, valid for long time intervals. Astronomy & Astrophysics 534, A22
- 同 正誤表 Astronomy & Astrophysics 541, C1 (2012)
- ヒッパルコス星表 I/239/hip_main(VizieR, CDS)